2025年の大阪万博では様々な展示が出展される予定ですが、
既にテレビなどで取り上げられているのが、
1970年の大阪万博でも展示された「人間洗濯機」。
そして当時その人間洗濯機を設計したのが、山谷英二(やまや えいじ)さん。
しかし当時は納得の行く出来ではなく、
そこから50年以上構想を練っていたところ、
今回の万博で再び出展される人間洗濯機と巡り合う機会を得ます。
何ともロマン溢れる物語ですが、
今回はそんな山谷英二さんについて、
・山谷英二さんのwikiプロフィール・経歴
・出身大学や家族は?
をまとめています。
気になる方は一緒に見て行きましょう!
山谷英二さん(人間洗濯機)のwikiプロフィール・経歴
人間洗濯機の設計者・山谷英二(やまや えいじ)さんの
wikiプロフィールや経歴は以下の通りです。
●山谷英二さんのwikiプロフ・経歴
○年齢:83歳(2024年時点)
○居住地:京都府 京都市 北区
○職業:元・三洋電機エンジニア
○経歴:
・三洋電機の会長から命じられ、30歳の時に人間洗濯機を設計
1970年の大阪万博に出展
・当時は技術的な限界があり満足のいく出来とはならず、
そのまま定年退職へ。
・その後も企画書を練り続けていると、
大阪の「サイエンス」という企業が2025年大阪万博へ
人間洗濯機を出展しようとしていることを知り、
協力を求められ現在は技術顧問に就任
山谷英二さんは2024年時点で83歳で、
現在は京都府京都市の北区に在住のようです。
山谷英二さんは三洋電機のエンジニアとして働いており、
30歳の時に人間洗濯機を設計して当時の大阪万博へ出展。

部品の発注から予算管理まで
ほとんど1人で手掛けたそうです。凄い…
微細な泡で体を洗浄するというアイデアでしたが、
当時の技術では実現できず、思い描く形にならないまま定年退職へ。
しかしその後山谷英二さんは、
大阪のベンチャー企業「サイエンス」が開発した
微細な泡で汚れを浮かせて落とすシャワーヘッドのCMを目にします。
「これや!」と思った山谷英二さんはサイエンスへ連絡を取ると、
何と大阪万博へ人間洗濯機を出展する予定だと言います。
それもそのはず、サイエンス会長の青山恭明さんは
1970年の万博で山谷さんの人間洗濯機に夢中になった少年の1人だったのです。

こうして意志が受け継がれていくのを見ると、
胸が熱くなりますね!
現在は山谷英二さんはサイエンスから協力を求められ、
人間洗濯機の技術顧問としてアドバイスする立場。
2025年の大阪万博に向けて、着々と準備を進めているようです。
山谷英二さん(人間洗濯機)の大学は?
人間洗濯機の設計者・山谷英二さんの
大学などの学歴は不明で、公開されていないようです。

そもそも大卒なのかどうかも不明です。
しかし1970年当時に
30歳の若さで万博への出展物を一任されたとなると、
社内でも一目置かれる優秀な存在だったのではないでしょうか。

しかも、会長のご指名だったそうですからね。
三洋電機は本社が大阪にあり、
現在も京都府在住ということを考えると
山谷英二さんは関西の学校に通っていたのではないでしょうか。
それ程優秀であれば大卒であっても違和感はありませんが、
そうだとしたら恐らく理系の学部出身でしょう。
山谷英二さん(人間洗濯機)の家族は?
山谷英二さんの家族は、
今のところ一切メディアに出ておらず詳細が不明です。
恐らく結婚して家族もいるのだろうと思われますが、
プライバシーの観点からか家族の情報は一切出していません。

83歳だと、
お孫さんがいてもおかしくない年齢。
詳細な家族構成は不明ですが、
お子さんやお孫さんがいるとすれば
80歳を過ぎても夢を追いかける山谷英二さんの姿に
感化されているかもしれませんね!

お子さんが人間洗濯機の夢を
受け継いでいったらめちゃくちゃ熱い。
まとめ
人間洗濯機の設計者・山谷英二さんについてまとめると、
●wikiプロフ・経歴
・’24年時点で83歳、京都府在住
・1970年の大阪万博で人間洗濯機を出展するも、
満足いかないまま定年退職へ
・その後大阪の会社が’25年の万博で
人間洗濯機を出展予定である事を知り、
協力を求められ技術顧問へ就任
●大学・学歴
・大学や学歴は不明
・恐らく関西出身なので、関西の学校出身ではないか
●家族について
・家族構成は不明
ということでした。
50年越しの夢を同じ大阪万博で叶えるというのは、
何とも数奇な巡り合わせ。
生涯夢を追い続けられるのは
きっと幸せな人生でしょうし、羨ましく思いますね!
以上、
山谷英二さん(人間洗濯機)のwikiプロフ!経歴や大学、家族は?
についてでした!
コメント